今回は、共産主義(マルクス・レーニン主義)の‟宗教性”について、中川八洋氏の著書『正統の哲学 異端の思想』より抜粋してご紹介します。
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「社会主義(共産主義)という非経済学的な経済思想が20世紀の人類を英米系(アングロ・サクソン系)を除いて地球狭しと席捲したのは、社会主義(共産主義)思想が実は学問ではなく宗教であったからである。ここで言う宗教という言葉は、文字どおりの正真正銘の“宗教”を指しているのであって、『宗教的』という意味ではない」(p.35)
「マルクス・レーニン主義は、マルクスとエンゲルスとレーニンらによってつくられた世俗宗教の教義である。このマルクス・レーニン主義を『悪魔の宗教』とするならば、マルクスとエンゲルスとレーニンとはこれを創造したことにおいて、全人類に対する犯罪者であり、全人類の何おいて告発されるべき三大主犯である」(p.44)
「社会主義とはすべて、ユートピアにすぎないものであって、現実には成立しないから、万が一にもそれは『科学的』たりえない。宗教や狂信は、『科学』ではない」(p.272)
「ユートピアは、その文学を見ても哲学を見ても哲学から生じた共産体制の現実を見ても、人間の人格を破棄(破壊)することによって生じる未来社会であり、そこでは人間のもつべき温かい血は人間から抜きとられている。人間の倫理が消えて道徳のない未来であり、人間自身が物になってしまう未来である。そもそも未来を夢想して現在を最善に生きようとしない人間など倫理喪失の無頼の徒であって、かくも即物的な人生しかできないものが建設する未来社会が即物的以外でありえるはずはない」(p.294)
「マルクス主義を革命的な根源的動力とするものはなにか。それはマルクス主義の科学的意識ではなく、まさにメシア的要素である。人々の心に革命的熱狂をよび起こし、闘争へ闘争へと人々を駆りたてるためには、経済的決定論では無力である。マルクス主義に含まれた熱狂は、まさにプロレタリアート、すなわち人類の解放を待望するメシア的理念から生じている。神によって祝福された選民についてのあらゆる要素は、ここではプロレタリアートに移されている。……プロレタリアートの独裁とはまさにメシア的独裁である。科学とはなんの関係もない」ベルジャーエフ
「共産主義は自らを唯一真の宗教であると見なしている」ベルジャーエフ「レーニン主義は宗教であって、単なる政党ではない」ケインズ
「ボルシェヴィズムは、たんに一つの政治理論であるだけではない。それは精緻な教義と霊感のこもった経典をそなえた一つの宗教である」ラッセル
「共産主義の全体主義体制とは国家の宗教団体化のことである」(p.186)
「ロシアに、ロシア正教(ギリシャ正教)によって形成された土着的な救世主思想(メシアニズム)が仮になければ、マルクス主義に基づく政権樹立もなければ、マルクス・レーニン主義の教義も誕生していないのであるから、ロシア・メシアニズムの研究を等閑視してはならないのだが、軽視されているのが実情である」(p.48)
「マルクス・レーニン主義は『変形ロシア・メシアニズム』以上のものでは断じてない」(p.49)
以上、共産主義(マルクス・レーニン主義)の問題点については、また改めてお伝えさせて頂きます。
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