今回は「デモクラシー」について、中川八洋氏の著書『保守主義の哲学』から見ていきたいと思います。
デモクラシー(民衆参加の政治制度)批判
デモクラシーの二つの非
①「民衆が主導する政体(デモクラシー)においては必ず、自由が軽視され道徳が遺棄される。……デモクラシーへの懐疑がなければ、自由や道徳を否定する極左イデオロギーに容易に汚染される」(p.28)
②「デモクラシーはアナーキーな衆愚政治(モボクラシー)に転落しやすいし、また、専制もしくは全体主義へと反転しやすい制度(体制)」(p.28)
デモクラシーの二つの害毒
①「政治を道徳的に腐敗・堕落させていくこと」。
②「(絶対君主の専制に比較できないほどの)超専制体制へと政治を転換していき、自由の圧搾が生じることである」(p.166)
「完全な(perfect)デモクラシーは、この世で最も恥知らず(shameless)の政体である」バーク
「君主や貴族を欠き、デモクラシーだけとなった政体を、バークは『完全なデモクラシー』『純粋な(pure)デモクラシー』『絶対的(absolute)デモクラシー』などと呼ぶ」
(p.167)
「デモクラシー政治の本質は、多数者の支配の絶対に存する。なぜなら、デモクラシーの国々では多数者に抵抗するものは存在しない」トクヴィル
「デモクラシーは民衆に、独裁者に隷従する願望を形成する」トクヴィル
「多数者の専制」論
「デモクラシーは、多数者の国民が少数者に対して最も残酷な抑圧を加えることができる」バーク
「『多数者の専制(tyranny of a multitude)』とはバークの概念」(p.274)
「デモクラシーには、暴政(専制)と、驚くほど多くの共通点がある」バーク
「善悪の区別や道徳性を全面的に無視するに至る、デモクラシーの基本原理『多数の意志主義』」(p.169)
「善や道徳に則った“法”が支配していない限り、デモクラシーは善悪の峻別や区別を無視し、道徳・不道徳の区別にすら無関心となる。デモクラシーが政治を道徳的腐敗に導く原因の一つである」(p.169)
「デモクラシーを暴走的に発展させたフランス革命も、民衆をして『王以上にしたが、人間以下にした』。デモクラシーは人間を野獣へと転落させるのである」(p.281)
デモクラシーが「中間組織」を破壊
「デモクラシーが、何でも平準化する『デモクラシーの水平化原理』で行動する以上、階級などの『中間組織』を破壊し、国民の自由を侵害する」(p.170)
「デモクラシーによる、階級を含めた数多くの『中間組織』の解体や弱体化は、必然的に人間の人格を破壊しその疎外感の深化をもたらす」(p.171)
「『中間組織』が破壊されアトム(個)化を促すデモクラシー社会は、『根無草人間』『余白的(マージナル)人間』『憑依的妄想人間』『無規範(アノミー)人間』『孤独に苛まれる人間』を増大させる」(p.171)
「デモクラシーは(建国当時の)米国のエリートには徹底的に危険視された」(p.29)
「アダムスは、選挙によって民衆すべてを平等に政治参加せしめるデモクラシーと権力の集中は“道徳ある自由(moral liberty)な社会”にとって敵であると喝破したのである」(p.65)
「『抑制されたデモクラシー』との共存だけが、現実の自由社会が模索できる唯一の選択肢である」(p.29)
以上、次回も「デモクラシー」について、さらに深く掘り下げて確認していきます。
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