「保守主義」の観点から、米国と米国の憲法について、中川八洋氏の著書『保守主義の哲学』より紐解いてみたいと思います。
米国とは
「米国とは保守主義を基層として、その上に築かれた国家である」(p.19)
「米国保守主義の父」ハミルトン
「ハミルトンとは、……『米国保守主義の父』の一人である」(p.21)
「『保守主義の父』は英国のエドマンド・バークであるが、このバークに匹敵する保守主義の哲人は、米国のアレグザンダ・ハミルトンだけしかいない」(p.22)
「ハミルトンは……世界史上に不朽の偉大な哲学思想家であった。バーク哲学とハミルトン哲学は、保守主義の二大双璧である」(p.22)
「ハミルトンを知らずして今日の米国を理解することはできないと言い切れるのは、ハミルトンこそ建国に当たって米国を“設計”し、“製作”し、“運転”した人物だからである」(p.23)
「バークは英国に古来から現存する英国の“国体”を保守する精神と論理を大成したが、ハミルトンは英国の“国体”を参考にしつつもそこから米国の“新しい国体”を創造するという偉業をなした」(p.24)
米国憲法とは
「‟法”主権」
「米国憲法がマグナ・カルタのような、“明文化したコモン・ロー”的なものであったのに、フランス憲法のほうは移ろいやすく無責任な“国民の意志”の単なる文字化にすぎないものであった」(p.31)
「『“法(ロー)”主権』を米国憲法は定めたから、すべての統治機構も、すべての政治家も、すべての国民も、『主権』を一部であれ分有することもできない。つまり、米国には、絶対的国民も絶対的専制者も、誕生する隙間がない」(p.32)
「『“法”主権』の下にあっては、当然のことに、『国民主権』や『人民主権』はその存在が全否定される。『国民主権の絶対視』の革命フランスとは逆の、『国民主権の全面否定』の米国になったのである」(p.32)
「今日でも、米国社会には『国民主権』『人民主権』という発想は存在しない」(p.32)
憲法=準コモン・ロー
「米国の、『国民主権』の拒絶は、①『国民主権』あるいは『主権』いう概念が暴政を生むという建国時の炯眼によって、『主権』の排除を“国体”としたからでもあるが、②『憲法=準コモン・ロー』と定めたことの必然でもある」(p.32)
「違憲立法審査権は米国憲法のコモン・ロー化による必然の帰結であって、米国の真に重要な『発明(発見)』は違憲立法審査権のほうではなく、憲法のコモン・ロー化のほうだというべきである」(p.35)
「米国の立憲主義(constitutionalism)とは、米国憲法の制定によって誕生したもので、憲法を準コモン・ローと見なすことによって理論化されたものだから、あくまでも英国の『法の支配』思想からの派生体である」(p.348)
憲法から「人権」「主権者」を排除
「米国憲法のどこにも『人権』は匂いほども存在しない。また『主権者』というものを米国憲法は徹底的に排除している」(p.41)
憲法に「地方分権」など存在しない
「国家の権力を地方にも分配するという『地方分権』など、米国の憲法史にも政治史にもまったく存在しない。米国とは、権能の強大な中央政府を、すでに存在している邦(州)の上に重ねてのっけたものである」(p.39)
以上、米国憲法の理解に当たっては、改めて「コモン・ロー」についてご確認ください。
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